『私には私のダンスがある、そして太陽は私の手のラケットの上で跳ねる ―― vol.20「アグネス吉井 “どこそこ”」(2026年6月5~27日)によせて』
文=平岡希望
「Black Cat」と「闇」の看板。2階通路に灯されたそれらは、市村優奈さん(と)の参加型パフォーマンス[1]が終わり、ビル1階のcallboxへ引き返すときにも見かけていたが、「アグネス吉井」のふたりも訪れたようだ。壁から天井へと続く赤レンガのアーチに、身体を沿わせるために。
KEKEさんがゆっくり後ずさると、彼に肩車された白井愛咲さんは背を丸め、両腕を指先まで伸ばしてそのアーチにぴたりとはまる。…のを見ている私が膝に手を載せ中腰でいたのは、callboxの一段高い床にそのモニターが置かれていたからだ。そして首を斜めにひねり、壁掛けモニターを見上げる。視界の左端が捉えていたのは、どこかの河川敷の橋脚のアールに、やはり前進しながら背を反らせて収まるふたりの姿だった[2]。
都市や身の回りのものを振り付けと読み替えて踊る。そんな彼らの作品を見る私たちもまた振り付けられているのは、これまで幾度も書いてきたように[3]、通路沿いのcallboxで見ること自体が鑑賞者をパフォーマーに仕立て上げるからだ。たとえば足音のよく響く板張りの床をたよりに、通行人を避けること。膝に置いていた手にグッと力を込めて立ち上がり、ウインドウへ一歩近づく。ガラスごしに見送るその人と、同じ方向へ歩く白井さんが壁のモニターに映っており、坂のへりに寝そべるKEKEさんの左手が、彼女の額に触れる[4]。オルゴールのピンと櫛歯(の1本)とが出会うようなその動きを見届けた私は、しばらくそのまま正面のモニターを眺めることもできるし、一歩下がってまた中腰になることもできる。いっそしゃがんでしまうのだったら、ガラスとの距離感もこのままでいい。…と足元を見れば、小上がりの下に置かれたスマホの中で、小人サイズのふたりが前進しては後退していた。揺れるブランコを挟んで[5]。
「登るプロセスでいったらいかにも木らしく自由自在に枝が出て広がっているこの二本がおもしろいのは言うまでもなくて、登るルートも何通りも選ぶことができて、いまこうして見ていても、下から二番目の枝から向こうの木に手をかけて、次にそこに足をまたがらせて膝を引っかけて体を持ち上げて……と、目が枝の流れを追うのに合わせて体が動きをシミュレーションしているのだが、〔……〕」[6]
木を上り下りするように、3台のモニターを順々に見る。そんな鑑賞のダンスに身を任せるうちに、アグネス吉井のダンスもまた、目の前の事物から、その瞬間たまたま引き出された可能性のひとつなのではないか。ということに思い至って、
「人間の身体は、たとえば夏の朝の山頂と、冬の夕方の海辺にいる時では状態が異なるのはもちろんのこと、駅前の駐輪場にいる時と、神社の裏手の公園のブランコのそばにいる時においても違ってくる。そうしたわずかな違いを無視しないでむしろ敏感に感じ取り、環境に影響を受けやすい弱い身体のままで、その時・その場所でしか成立しないようなダンスを踊りたい。」[7]
小さな四角い砂場から各辺へ、お遊戯的なリズムで順々に跳んでは移るふたりの姿[8]は、やはりサミュエル・ベケットの映像作品『クワッド』[9]とはだいぶ違う。数学的かつ音楽的なスコア[10]に基づき、正方形のアクティングエリアを素早くよぎる演者4人の最適化された身体が、
「『クワッド』は美しい作品ですが、ベケット自身はそこに潜む危険性をものすごく意識していたと思います。どんどん文明が進んでいくと、人類は大地から遠ざかり過ぎて取り返しがつかなくなるぞ、という危機の意識が疼いていたはずです。」[11]
と言わしめたのに対し、アグネス吉井のそれはむしろ「本当に見るということは上から見るのではなくて、目の高さで見ることだ。」[12]を実践しているかのようで、階段に背をつけ、一段ずつ滑りおりていったふたりの幻影を求めて、ビルの地下に続く外階段へ向かう。そして仰ぎ見れば、天井の一部が鏡面になっていることに(今さらながら)気づいて、階段の途中でしばし宙を見上げた私も、その瞬間はダンサーだったのかもしれない。〈了〉
注
タイトルは、エメ・セゼール「帰郷ノート」(砂野幸稔/訳『帰郷ノート|植民地主義論』平凡社ライブラリー,p.113)による。なお、引用したURLの最終閲覧日はすべて2026年6月9日である。
[1]前回の『107』を参照のこと。http://call-box.jp/dial107/1896/
[2]以下、アグネス吉井Instagramアカウントに映像が投稿されている場合は、そのリンクを併記する。
《フィッティング Fitting》https://www.instagram.com/p/DYN-qG4y3qC/?hl=ja
[3]cf.,『107』連載1回目 http://call-box.jp/dial107/1408/
[4]《直角三角形 Right triangle》https://www.instagram.com/p/Cx4MZC7S3Fn/?hl=ja
[5] 《ブランコ Swing》https://www.instagram.com/p/DNUMzoqBWid/?hl=ja
[6]保坂和志『カンバセイション・ピース』河出文庫,p.231
[7]ポートフォリオサイト掲載のステートメントより。https://aguyoshi.net/about/statement-jp/
[8]《四角い砂場 Square Sandbox》https://www.instagram.com/p/DPAQ3JuErDg/?hl=ja
[9]cf.,https://www.youtube.com/watch?v=gZkoL3XT9yo
[10]cf.,『新訳ベケット戯曲全集3 フィルム ― 映画・ラジオ・テレビ作品集』白水社
[11]「『サミュエル・ベケットを〈読む〉』レクチャー1:多木陽介」より。
https://realkyoto.jp/article/samuel-beckett_1/ (ウェブマガジン『REALKYOTO』)
[12]同上。cf., 「ヴィム・ヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』(’87)という映画〔……〕の最後で、ディスコのバーで出会った彼女に、ダミエルが、『本当に見るということは上から見るのではなくて、目の高さで見ることだ。歴史の流れの中に降りていこう』と言う台詞がありますが、〔……〕」