『このドアはおそらくどこでもない場所に向かって開き、どこでもない場所で閉じるでしょう ―― vol.16「西永和輝 “Rampant”」(2026年1月24日〜2月15日)によせて』

 

文=平岡希望

 

「Nはいっしょにくすねてきたフォークの先でボトルの口をこじ開け、細く透明な首の部分から竹製のマドラーを操って、船底を支える木の土台にマッチを一本ずつ送りこんでいった。〔……〕白い火薬が葱坊主のようにくっついている細い棒を、息をつめてガラスの中に差し入れるその作業は、破壊ではなく、あらたな製作工程のひとつであるかに見えた。」[1]

 白い石膏が葱坊主のようにくっついている細いアルミフレーム。「幅160cm奥行90cm」[2]のウインドウを、内側から補強する骨組みのようなそれは巨大なボトルシップみたいに組み上げられたのだろう。手始めに左奥の角を見る。callboxの高さぴったりのフレームがあって、仮にフレーム①としよう。①の上部からは、そのまま天井の二辺に沿うかたちでフレーム②および③が伸びており、まっすぐ視線を落としていく。フレーム①は、④⑤⑥とさらに枝分かれしながら深緑色の床に到達し、そこからは天井の②③と同じ要領だ。フレーム⑧⑨が、やはりブラケットで堅牢に接続されて、ざっと数えただけでも80本に迫ろうという長短さまざまなフレームは、檻のようにも、止まり木のようにも、

「ツォーラの都市がどのようになっているか諳じて言うことのできるほどの人は、寝つかれぬ夜など、その街を歩いてゆくおのが姿を想像しながら、赤銅づくりの時計塔、縞模様の床屋の日覆い、九条のしぶきをあげる噴水、〔……〕と順々に続いてゆくそのとおりの順序に思い出すのでございます。心から消し去ることのできないこの都市は何やら枡目のなかにそれぞれ自分の憶えておきたい事柄を配列しておく格子桁あるいは網目模様といったようなものでございます。」[3]

「イザウラでは二種類の宗教が生じました。〔……〕神々は、網を吊るした水桶が井戸の外まであがって来たそのなかに、また釣瓶をまわす滑車に、巻揚げウィンチに、ポンプの把手に、あるいは試錐の水を汲みあげる風車の翼、そのドリルの廻転を支える櫓の木組み、細長い脚の上にのせた屋上の貯水槽、無数の水道橋のきゃしゃなアーチ、ありとあらゆる垂直な上水道や下水管、サイフォンや排水孔、はては上へ上へとのびてゆく都市イザウラの高くそびえる塔のそのまた上に立つ風見車にも住んでいるということでございます。」[4]

『見えない都市』に出てくる架空の街々のようにも見える。それは単にグリッド状の構造だからではない。フレームのあちこちに、「漂着物を覆う藻や貝のように」[5]まとわりついた石膏が、時に、懸魚[6]・木鼻[7]・しゃちほこ…といった有機的な装飾を想起させるからだ。突き出したフレームの先と目が合う。龍の頭部みたいなそれは、あえて粗く造形されているがために、生成の途中にも、風化の過程にも見えて、「建築という無機物よりも、今にも蠢き出しそうな、或る異様で、巨大な生き物」[8]、あるいはその亡骸のようでもある。同時に、スクラップアンドビルドを繰り返すメトロポリスや、悠久の遺跡みたいでもあって、

「意味の発生を、過去と現在を結ぶ通時的因果関係と合理的説明体系に求めるのではなく、空間的な可塑性をもった具体的な広がりのなかでのものごとの偶発的な出逢いの詩学的な強度に求めること。〔……〕アナクロニスム(時間錯誤)の自覚的実践は、歴史を空間に向かって拓くときに得られるアナロキスム(空間錯誤)を同時に要請する。」[9]

callboxという矩形に収められた時間錯誤的かつ空間錯誤的な構造物は、ピラネージの版画連作《牢獄》[10]のごとく、あるいはカルヴィーノの『見えない都市』のごとく、存在しないが故に偏在する“どこか”や“なにか”を隠喩的に表象しているのかもしれない。〈了〉

 タイトルは、小西信之/訳「ロバート ・ スミッソン《ホテル ・ パレンケ》」『愛知県立芸術大学紀要 48号』p.139,https://ai-arts.repo.nii.ac.jp/records/742 による。

 なお、各URLの最終閲覧日はすべて2026年1月30日である。

[1]堀江敏幸「ボトルシップを燃やす」『おぱらばん』新潮文庫,pp.150-151

[2]callboxウェブページの“About”より。http://call-box.jp/about/ 

[3]イタロ・カルヴィーノ/著,米川良夫/訳『見えない都市』河出文庫,pp.23-24

[4]『見えない都市』pp.29-30

[5]作家が本展によせたテキストより。http://call-box.jp/exhibition/1671/ 

[6]「懸魚(げぎょ)とは、社寺の向拝に見られる唐破風(からはふ)の下に取り付けた飾りのことを言います。破風に取り付けた火除けまじないで、魚をつるした形をしていることからこう呼ばれています。」https://inouemokuchoukoku.com/gegyo/ 

[7]「木鼻(きばな)とは、頭貫や肘木、虹梁などの先端が柱より突き出た部分の名称です。〔……〕次第に獅子や龍、象や莫などの複雑で繊細な彫刻が施されるようになりました。」https://inouemokuchoukoku.com/kibana/ 

[8]春日武彦『奇想版 精神医学事典』河出文庫,p.94 より。cf., 岡谷公二『郵便配達夫シュヴァルの理想宮』

[9]今福龍太『群島-世界論[パルティータⅡ]』水声社,pp.69-70

[10]「ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージは18世紀イタリアを代表する版画家です。版画連作『牢獄』はなかでも最も有名な作品と言えるでしょう。〔……〕この連作には、その名の通り、牢獄の様々な情景が描かれています。もっとも、現実の牢獄を描いたものではなく、そこにあるのは空想の世界です。」https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/past/2012_232.html

 なお、スミッソンは講演のなかでピラネージを引き合いに出し、トマソン的な興味について語っている。

「この様は、ある種ピラネージを想起させます。皆さんがピラネージの牢獄シリーズをご存知かどうか知りませんが、そこにはこういった本当に行き止まりのフロアや、ただ雲の中に消えて行く階段が溢れています。〔……〕私はこの種の壊れた様子が好きなのです。」(『ロバート ・ スミッソン《ホテル ・ パレンケ》』p.127)

 
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