『標本箱の貝殻に海がまるまる収まっている ―― vol.22「Tomoko Rikimaru “あいまの標本 – callbox archives -”」(2026年9月10~30日)へよせて』


文=平岡希望

「あるとき、私の家の裏で私の世界の小さな物やちっぽけな生き物を探していて、垣根の板に穴を一つ見つけた。その隙間を通して見ると、私の家の土地と同じような耕やしてない自然のままの土地が見えた。私は数歩あとへさがった。何かが起こりかけているのが漠然と分かったからだ。突然、一本の手が現れた。私と同じ年ごろの男の子の小さな手だった。私が近寄ったときには、手がなくて、その場所にちっぽけな白い羊があった。それは色あせた毛の羊だった。羊を滑らせるための車輪はとれてなくなっていた。そんなにきれいな羊は、私はそれまで一度も見たことがなかった。」[1] 

 「街の中に突然現れる、約1.4㎡の小さなギャラリー、callbox」[2]を訪れるとき、私はこの一節を思い出す。垣根の板に空いた穴みたいなウインドウの向こうには、不在の誰かからのサプライズプレゼントめいた作品だけが残され、五月雨式に現れる私たち鑑賞者、あるいは通行人は、それぞれにそれを受け取ったり(そのときは)受け取らなかったりする。
 この挿話には続きがある。贈り物を見つけた「私」は家に駆け込み、宝物の「開きかけた松かさ」を持って引き返し、同じように穴の前へ置いたのだ。「男の子の手はもうどこにも見えなかった」。…という結びは、「松かさ」が無事手渡されたか否かを読者の想像に委ねるが、これまでずっとcallboxのアーカイブを担ってきた力丸朋子さんの写真もまた、展示作家へ捧げられた一つの返礼なのだろう。
 具体的にどれが誰の展示(の写真)なのか。それはこのページの上部にある蛍光グリーンの楕円を選択し、表示されたメニューの「Exhibition」より各展示のアーカイブを開き、掲載された写真と照らし合わせてみれば分かる。共用廊下の幅の分しか距離を取れないためでもあるだろうが、写真は作品の一部分だったり斜めからだったり、あるいは向かいの店舗のガラスに映った鏡像だったりする。ウェブサイトの閲覧者は、そうした “断片” から空間をイメージするわけだが、そこで再生されるのはむしろ、

「飾り窓やその奥の店の棚にある品物でなにか心に残るものがあると、何度も何度も足を運ぶ。買うためにではない。周囲に置かれた他のさまざまな品や調度との位置関係、そして自然光の加減や店の主人の立ち居ふるまいのすべてが渾然となってつくりあげているその雰囲気を味わいに行くのだが、品揃えが変わると胸に沁みていた光景がとつぜん消えてなくなってしまうことがあって、そういうとき私は、もう一度観ておこうと会期を手帖にまで控えていた美術館の企画展がいつのまにか終わっていたことに気づいたあとの、ちょっと血の気が失せるような感覚を思い出す。」[3]

「周囲に置かれた他のさまざまな品や調度との位置関係、そして自然光の加減」まで記録/記憶に留めようとする一人の撮影者であり鑑賞者でもある力丸さんの視点だ。
 改めて本展へ目を向けよう。A4の感熱紙1枚、2枚、4枚、9枚から成る大小のモノクロ写真が計20点、壁の正面から左右、小上がりの縁にまで貼り散らされており(天井の1枚も忘れてはならない)、それ自体が、callboxの空間を内側からなでて確認しているかのようだが、しばらく眺めていると、写真の選択にも空間性が反映されていることに気づく。すなわち、抹茶色の小上がりに置かれていた作品[4]の写真は当の小上がりへ、正面の壁に掛けられていた作品[5]の写真は壁のそのあたりへ、天井付近に吊られていた作品[6]の写真は高い位置へ。…という具合に配されており、写真をまなざす私たちの身振りそのものも、過去の鑑賞者のそれとずれつつも重なっていたのではないか。

 そして、9月11日から13日の3日間に限り、鑑賞者の足はさらに新高島の「Art Center NEW」へといざなわれていた。大久保駅から新宿を経由し、およそ1時間で横浜へ。日本各地のオルタナティブスペースが集結したアートフェア「NEW PLATFORM -Alternative JAPAN」[7]の一角には、ターポリンにカラープリントされた力丸さんの写真が壁面いっぱい展開されていて、それらは畳んで搬入されたのだろうか。傍らに鎮座していたのは、callboxの実寸大模型 ― 主宰の山本卓弥さんが構想中だという “移動式callbox” の試作品 ― だ[8]。その上部と下部には小ぶりなキャスターが取り付けられており、解体すれば運搬も比較的容易なのかもしれない[9]。こうした「現れては消え、消えてもなお現れ(う)る」イメージが私に連想させたものこそ、時とともに薄れる感熱紙の儚さと、フィルムさえあれば何度も現像し直せる写真のしぶとさを併せ持ったサーマルプリントだった。さらに言えば、callboxという場は固定的でも不動でもなく、ふと現れてはしばし佇み、立ち去っていく私たち鑑賞者と、気ぜわしく横切る通行人と、店内から伝わる気配との間にその都度生起する「風景やみんなといつしよに/せはしくせはしく明滅しながら/いかにもたしかにともりつづける/因果交流電燈の/ひとつの青い照明」[10]みたいなものなのではないか。だとすれば力丸さんの写真は、そうした総体を1枚の写真にすっぽり収めてしまっている。いつまでも海を忘れない、1個の貝殻のように。〈了〉

注
 引用したURLの最終閲覧日は、すべて2026年9月15日である。
[1]今福龍太『群島-世界論[パルティータⅡ]』水声社,p.57
[2]本展ステートメントより。
cf., https://www.instagram.com/p/Dc8CBO_E7uK/?hl=ja&img_index=1
[3]堀江敏幸『もののはずみ』小学館文庫, p.194
[4]中村悠一郎さんの別名義「楡木真紀」および「ダニエル・ホール」によるインスタレーションのこと。
cf., http://call-box.jp/uncategorized/1080/
[5]小林椋さんの立体作品など。なお、香港より来日したコレクティブ「c.95d8」と森田茉結さんのコラボパフォーマンス《Same but Different》ではウインドウが用いられたのだが、その記録写真も壁面に展示されていた。
cf.,
http://call-box.jp/exhibition/1389/
http://call-box.jp/news/2035/
[6]利部志穂さんの作品のこと。
cf., http://call-box.jp/exhibition/1615/
[7]cf., https://artcenter-new.jp/new_platform_2026/
[8]あずまや風の什器には2台のタブレットが設置され、速水一樹さんや保泉エリさん、利部さん(cf., 注6)らの作品やパフォーマンス映像が上映されていた。

cf.,
http://call-box.jp/exhibition/956/
http://call-box.jp/exhibition/1277/

[9]搬出を覗き見た限り、天井と床に相当する上下のパーツから支えの(伸縮可能とおぼしき)ポール4本を外せば、大きなスーツケースくらいのサイズ感で取り回せるようだ。

[10]宮沢賢治『春と修羅』の冒頭より。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1058_15403.html
 
BACK