『咲かせない櫻ではないあれは櫓だ裏切りだから抒情とは ―― vol.21「小林椋 “臼ひくクエを、例のこととも、あれこれもう” 」(2026年7月4~26日)によせて』
文=平岡希望
青い波刃の銃剣を、真上に掲げた衛兵のようなそれは、10秒も経たないうちにその切っ先を左右に振り始めた。合図を送るように、ゆっくりと。窄まった長い首に頭はない。そこから代わりに伸び上がった黒いコードは、天井を経由して壁を伝い、床の隅のコンセントへと接続する。ちょうどその付近に置かれたライトが “銃剣” を照らし、白い壁面の、時計の針めいた影は映っては消えてを繰り返す。手を振るようなその “腕” の動作に合わせて。作品の下部に取り付けられた、封蝋のように歪んだ(しかし表面はつるりとした)ふたつの青い円盤は、よく見れば回っている。やさしくもたよりないタービンのようなそれは、しかし1年前には「『とんぼのめがね』みたいに大きく青いふたつの “目” 」[1]だった。電源コードがひょろりと伸びた首も、「電源コードがひょろりと伸びた “腰” 」だった。腕は腕に見えていたが、真上に掲げた青い波刃の銃剣というよりは、むしろ「渡し守がゆらめかせる優雅な櫓」だった。つまり、本作品はこの場に2回展示され、あたかもタロットの正位置と逆位置のごとく、その上下を変えていたということだ。
そしてそれは作品だけではない。ぴったり1年前の2025年7月4日から26日にかけて行われた「企画展 vol.12『小林椋 “あれこれもう例のこととも臼ひくクエを” 』は、「vol.12」から「vol.21」に、タイトルも『臼ひくクエを、例のこととも、あれこれもう』に、さらには作家ステートメントまですっかり反転された[2]。そうしてすべてがコウモリのように逆さ吊りになった作品は、「水に映ったハンノキの左右が逆になっていて梢が下に伸びてゆき/水は浅いのに底にまったく届かないということ」[3]、あるいは同じ詩人の『水たまり』[4]のような、
「うっかり足を踏み入れようものならいきなり体が沈み込む
下に向かって舞い上がり始める
下に向かってもっともっと深く
水面に映った雲の先に
さらにもっと先に。
それから水たまりは干上がり
私の上で閉ざされる
私は永遠に閉じ込められてしまう ―― どんなに叫んでも
表面までは届かない。」
どこか不穏な感覚を鑑賞者にもたらす。そうした「閉じ込められた」イメージは、つい先日の個展[5]の、
「回収した機械や装置の内部構造をいったんバラして、どのくらい配線を伸ばせるかとか、基盤の位置をどのくらい変えられるかなどによって全体のボリューム感が決まり、それに合わせて造形を考えます。形はなんでもいいわけではなく、内部の要素の距離的な制約と、自分が作りたい造形の折衷でフォルムが決まっていきます。作品の表面に出ているボタンやスイッチやメーターなどは、元の装置にあったものをそのまま使っています。機械を入れる『容器』の部分は、発泡スチロールを削り出してその上にFRPを貼り、固まったら発泡スチロールを抜いて、あとはひたすら紙やすりなどで研磨していく。真っ当に彫刻的な作業なんです。」[6]
動きはしないけれど「中の機械はまだ通電も可能であり(動かないけれど)、完全に死んだわけではない」[7]作品群を思い出させた。「『秘匿の技術』としての彫刻」あるいは「機械たちのための墓」[8]とも形容されたそれらは、むしろ「閉じ込め症候群」[9]のようだったが、ひるがえって今回の、ひいてはこれまでのキネティック作品にも
「彼は、時機を失しないうちに一定の冷気の中に入れた死体を使って長いこと実験を試み、〔……〕たちどころに強力な電気を発し、電気は脳に浸透して、死後硬直に打ち勝ち、驚くばかり、死体を一時的に生き返らせた。そしてこの人物は、記憶の奇妙なよみがえりの結果、たちまちその人生にあって忘れがたい瞬間に自分のした動作を、どんな些細なものまでも、そっくりそのまま再現してみせるのだった。」[10]
「記憶の奇妙なよみがえりの結果、たちまちその人生にあって忘れがたい瞬間に自分のした動作を、どんな些細なものまでも、そっくりそのまま再現してみせる」。そんな、単に動いている=生きているとは言い難い静と動の、死と生の揺らめきみたいなものがあって、水鏡を覗き込むように、私たちはそこに自らの似姿を見ているのかもしれない。〈了〉
注
本展の趣向を鑑み、1年前のレビュー『抒情とは裏切りだからあれは櫓だ櫻ではない咲かせない ―― 企画展 vol.12「小林椋 あれこれもう例のこととも臼ひくクエを」(2025年7月4~26日) に寄せて』でタイトルに引用した千種創一氏の短歌(『砂丘律』ちくま文庫,p.51 収録)を反転させ、題とした。
なお、引用したURLの最終閲覧日は2026年7月9日である。
[1]以降、この段落のかぎ括弧内については1年前の拙稿より。なお、引用に際して語順などを一部改めた。
cf., http://call-box.jp/dial107/1408/
[2]それぞれの展示詳細や作家ステートメントは、以下のページを参照のこと。
http://call-box.jp/exhibition/1389/(vol.12『あれこれもう例のこととも臼ひくクエを』)
http://call-box.jp/exhibition/1921/(vol.21『臼ひくクエを、例のこととも、あれこれもう』)
[3]ヴィスワヴァ・シンボルスカ/作,沼野充義/訳・解説『瞬間』未知谷,p.47
[4]同書,pp.45-46
[5]『U魚』_小林椋_2026年5月29日〜 6月28日_CALM & PUNK GALLERY_東京都港区西麻布1-15-15_https://calmandpunk.com/exhibition/
[6]松原麻理『用途不明の機械を自作の彫刻に封じ込めた作品で問う「意味の無意味」—— 小林椋 個展「U魚」@CALM & PUNK GALLERY(〜6/28)』HILLS LIFE DAILY,https://hillslife.jp/art/2026/06/12/muku-kobayashi/
[7]同上
[8]ギャラリーWebページより(cf., 注5)。
[9]「閉じ込め症候群患者の認知機能は正常であり,覚醒しており,開眼および正常の睡眠-覚醒サイクルがある。患者は聞くことができ,見ることができる。しかしながら,顔面下部の運動,咀嚼,嚥下,発話,呼吸,四肢の運動はいずれもできない。」(Kenneth Maiese/筆,Michael C. Levin/査読「閉じ込め症候群」『MSDマニュアル プロフェッショナル版』)https://www.msdmanuals.com/ja-jp/professional/07
[10]レーモン・ルーセル/著,岡谷公二/訳『ロクス・クルス』平凡社ライブラリー,p.167