『世界の安定性は芸術の永続性の中で透明になった ―― vol.18「Margaux Lelièvre “Handle with Care”」(2026年4月5〜25日)によせて』


文=平岡希望

「セミョーンは四十五センチほどの長さに紙ぎれを縫い合わせて、よく皺をのばし、そして膝をつき、旦那の靴下を汚さないように前掛けでよく手をふいてから、寸法をとりにかかった。セミョーンはまず底をはかり、甲をはかり〔……〕」[1]

 両の膝を揃えてしゃがみ込む間も、目は、腕のよい職人があつらえた靴みたいなそれの小ささを測っていた。落花生というよりも、バターナッツカボチャを落花生サイズまで縮小したような色と質感。黄色くくびれたその輪郭に沿って、疎くてわからないが、発泡〇〇系の断熱材とおぼしき白い素材にくるまれたそれは、靴に守られた足のようにも、白いワタに覆われた空豆のようにも、産着をまとった赤子のようにも見えて、ウインドウに映った私の足もとが、その上からうっすらと重なる。窓越しに、callbox の抹茶色の小上がりに溶けていた緑色のキャンバススニーカーの足先に力を込めたのは、

「かつてフランスの農夫たちは、木をくりぬいてつくった靴を履いていた。硬くて足にはきついはずだが、踏み固められた畑までの農道や、村の中心部の石畳を歩くときなどは、コツコツと美しい音楽を響かせていたにちがいない。木靴を意味するフランス語は、同時に馬のひづめをも意味する。つまり聞く人によっては、コツコツではなく、ポクポクになる。」[2]

「靴音の感じからして、女性に間違いありません。しかも若い女性です。木の階段をくちばしでつつくような音ですから、ヒールの先に黒いプラスティックの滑り止めがついた、パンプスを履いているのだろうと見当がつきます。」[3]

鳴きかわし合うような二人分の足音が、左手の階段から聞こえてきたからだ。通行を妨げないよう、ぐっと立ち上がりウインドウに鼻先まで近づくと、まだ少しふらつく視線に背後の二人の鏡影がよぎり、その奥に二つの作品が掛けられていた。どちらも、シルエットだけなら400~500ページの単行本に喩えられるか。素材はやはり目の細かい断熱材のようだが、向かって左の作品を “まっぷたつにした巨鳥の四角いゆで卵” と言いたくなるのは、白い断熱材の中央に、一回り小さい、目の粗い、黄色い海綿状のものがすっぽりと収まっているからだ。

 向かって右の作品の、左下に寄ったあたりには小さく “窓” が開いている。そこに、これまたすっぽり収まったアクリルケースから覗く、赤茶色のそれは岩絵の具だろうか。小さな窓の中で砂丘めいた勾配を成す、灼けた砂みたいなそれから目を右下へとやれば、callbox 側壁の、みぞおちくらいの高さのところにも作品があって、

「すでに人々が〔各部族の土地から採取した腐植土をこね上げて建立した、微笑を浮べた可愛い子供の〕同盟者像に絶望しかかっていた時、ある朝、像の右手から、いまにも開花せんばかりの小さな草が生えてきた。誰もが躊躇なく、これこそが〔女王〕デュル・セルールの病気を治すため、あがめる子どもの像が恵んでくれた奇蹟の薬と信じた。」[4]

まさに「いまにも開花せんばかりの小さな草」みたいな蕾が、白く細長い “しとね” の中に同じように収められていた。

「まず、彫刻を全部地下室へ運び、 机の上に並べて一個ずつ金槌で叩いていった。力の入れ具合いが一番難しかった。一度軽く叩くだけで、ぱっくりときれいに割れるものもあったが、そうはうまくいかないことの方が多かった。力を入れすぎると、中身まで一緒につぶれてしまいそうで怖かった。また、音にも気を配らなければいけなかった。川沿いの道は人通りは少ないが、それでもいつ秘密警察が通りかかって、地下室から漏れてくる音に不審をいだくかもしれないからだ。〔……〕結局、全部の彫刻に一つずつ〝品物〟が隠してあった。見逃してしまいそうなほど小さなもの、油紙に包んだもの、入り組んだ輪郭のもの、黒ずんだもの、尖ったもの、毛羽立ったもの、薄っぺらなもの、ぴかぴかしたもの、ふわふわしたもの……。それぞれみんな違っていた。」[5]

 鳥が、薔薇が、そして左足までもが忘却され、消滅していく『密やかな結晶』の小説世界において、「見逃してしまいそうなほど小さなもの、油紙に包んだもの、入り組んだ輪郭のもの、黒ずんだもの、尖ったもの、毛羽立ったもの、薄っぺらなもの、ぴかぴかしたもの、ふわふわしたもの……」を白い石膏がかろうじて残し伝えていたように、

「芸術作品は、そのすぐれた永続性のゆえに、すべての触知できる物の中で最も際立って世界的である。すなわち、その永続性は、自然過程の腐蝕効果をもってしても、ほとんど侵されない。芸術作品は生きているものが使用するものではない。たとえば椅子の場合なら、椅子の目的は人がそれに腰をおろすとき実現される。しかし芸術作品の場合、それを使用すれば、それ自身に固有の目的を実現するどころか、それ自身をただ破壊するだけである。このように芸術作品の耐久性は、すべての物がとにかく存在するために必要とする耐久性よりも高度のものである。つまり、それは歳月を通して永続性を得ることができる。」[6]

目の前の作品群も、世界のかけらを真珠のように抱くことで「自然過程の腐蝕効果」から守っているのかもしれない。そして一歩、二歩と下がって見渡した callbox は巨大な標本箱みたいで、そのガラスの前でしばし立ち止まること自体が、

「事物は閉じられた輪郭をもつからこそ、 それが生み出されたのとは別の場所、別の空間で出会うことへと開かれている。事物の耐久性は、短期的な注意にがんじがらめになった私たちを、現状とは異なる仕方で生きるための『世界』を形成する、その可能性の方へと誘っているのである。」[7]

「現状とは異なる仕方で生きるための『世界』を形成する、その可能性の方へ」目を向けることでもあるのだろう。きっと。〈了〉

 タイトルは、ハンナ・アーレント『人間の条件』(志水速雄/訳,ちくま学芸文庫,p.264)による。

[1]中村白葉/訳『トルストイ民話集 人はなんで生きるか 他四篇』岩波文庫,pp.30-31

[2]堀江敏幸『もののはずみ』小学館文庫,p.98

[3]小川洋子『密やかな結晶』講談社文庫,p.379

[4]レーモン・ルーセル/著,岡谷公二/訳『ロクス・ソルス』平凡社ライブラリー,p.15。なお、改行については省略し、引用注として〔〕内を補った(cf., 同書,pp.13-14)。

[5]『密やかな結晶』,pp.332-333

[6]『人間の条件』,p.264

[7]池田剛介「事物と注意 アーレントの仕事=制作論から再考する」『現代思想2026年2月臨時増刊号 特集=ハンナ・アーレント -生誕120年-』青土社,p.195

 
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