『ようするに、一切が一切、皆が皆、彼におまえはおまえではない人間だと告げるのだった。 ―― 企画展 vol.14「今井しほか エスニシティの美女」(2025年10月25日~11月11日)に寄せて』

文=平岡希望

「青い目を輝かした赤毛のかわいい娘が横になっていた。化粧はしていなかったが、唇は赤く、頬も紅潮していた。そのせいか、肌は驚くほど白く見えた。肌の滑らかな白さは結核のせいだと分かっていても、愛らしさに変わりはない。」

(ウィリアム・サマセット・モーム 著, 石塚久郎 監訳「サナトリウム」『病短編小説集』平凡社ライブラリー, p.26)

「結核の文学的利用はその好例だ。現実的には醜悪さも見られる結核の症状と経験を捨象し、美的に見える部分を切り取り、時に誇張することで結核の美化のナラティヴは練り上げられる。(中略)医学も特定の人だけを襲う結核の謎めいた現象を説明するのに、文学によって想像されたテンプレート、結核にかかりやすい結核体質の患者像を参照し、文学を後追いするかのように神話を現実のものとして再生産する。文学と医学はこのように相互に参照し干渉し合うテクスト、複雑に絡み合う間テクスト性を構成する。」

(同書「解説」p.306)

 モームが描いた “白く滑らかな肌の娘” は、現代風に言えば「ブルベ儚い美人」だろうか。青一色に塗り直された callbox の壁面は、その他にも「理想の二重」「ノイズのない均一肌へ」といった50ほどのフレーズで満たされていて[注1]、傍らのネイルサロンへ目をやれば、ポスターが「指先に、本物志向」と謳っている。

“Often a bridesmaid… never a bride!”

(拙訳:花嫁に付き添ってばっかり!)

 1956年のリステリンの広告[注2]において、 口臭(halitosis)のせいで結婚できない “かわいそうなエレノア” のストーリーが悲劇的に語られたように、

「いま、試みにかれら(引用注:ジョン・テニエル、J・J・グランヴィルなど)の描いた風刺画ないし漫画をながめてみると、期せずして一つの共通な特徴にぶつかる。それは人物の顔付きとその性格とがみごとに関係しあっていることである。つまり、悪い人間はいかにも悪党づらをし、善良な人間はいかにも君子ふうに見える。当時のカリカチュアリストにとって、この顔付きと性格を一致させることは、最も重大な仕事であった。なぜなら、十八世紀末にラウァターらの観相学者が人々の関心を奪って以来、人物評価の基準となる人相を見分ける術は、紳士淑女の趣味とたしなみにさえなっていたからである。」

(荒俣宏『パラノイア創造史』ちくま文庫, pp.38-39)

美容や健康にまつわる言説は「相互に参照し干渉し合うテクスト、複雑に絡み合う間テクスト性」を発揮して “基準” や “規範” を脅迫的に生み出してきたが、左下のモニターに映る「いかにも悪党づら」のメデューサとフランケンシュタインの怪物[注3]は、人ならざるもの故に、そんな尺度をはねのける存在として現れたのかもしれない。メデューサから「寝ぐせそのままの髪型って(清潔感的に)どうです?」[注4]と尋ねられた怪物は、「寝ぐせ割と好きだから、いい(髪型)ですねって言っちゃいそう」と返したが、

「祭り場に集っていた大人も子供も、おりんの口を見ると、わーっと逃げ出した。おりんはみんなの顔を見ると開いた口をまた閉(ふさ)いで、下の唇を上側の歯で噛みしめて上側だけを見せようとしたばかりでなく、見てくれとあごを突き出した上に血が流れているのだから、凄い顔になってしまったのである。」

(深沢七郎『楢山節考』新潮文庫, p.64)

口角だけをグワッと上げたその凄惨な笑みに、「歯も抜けたきれいな年寄り」になるべく「こっそりと歯の欠けるように火打石で叩いてこわそうとしている」(同書, p.48)おりんが重なって、前述したリステリンの広告と『楢山節考』、奇しくも同年に発表された2つの美意識は、隔たりつつも実は相通ずるのではないか。

 展示空間中央を見れば、「突き出したあごから流れる血」のように滴っていたのは “手鏡の柄” で、《鏡の怪物》[注5]と題された本作のモチーフは、これまたヴィラン(敵役)の八岐大蛇だろう。「even cuter(もっと可愛く)」「美女来」の “呪文” が浮き彫りになった銀光りするメッシュ状の蛇身、そこから鎌首をもたげていたはずの8つの頭は、すでに内5つが切り落とされた。その断面は血=柄を滴らせた手鏡(のフレーム)と化しているが、ぽっかりと開いた穴なのだから、幽鬼のごとく私を映し出しているのは手鏡それ自体ではない。姿見のようなウインドウだ。そして背後を振り返れば、クレープのメニューで半ば覆われているもののそこにもガラス壁があって、妖精のごとく合わせ鏡に捕らえられた[注6]鑑賞者はすでに、

「合わせ鏡の中心に美人がいるという噂、神様の罰としてあなただけ違う見た目になる、追放されないように加工して同じ顔になる、あなたは必ず美人になることができる、わたしと一緒の顔になれば。」

(今井しほか《鏡の怪物》より)

“同じ顔の美人” に変貌しているのかもしれない。〈了〉

備考)タイトルは、『ボルヘス怪奇譚集』(ホルヘ・ルイス・ボルヘス, アドルフォ・ビオイ=カサーレス 著, 柳瀬尚紀 訳, 河出文庫, p.131)による。
[注1]今井しほか《美女来ファンクション》_カッティングシート、新大久保で見た化粧品のキャッチコピー_サイズ可変_2025年
[注2]cf., https://repository.duke.edu/dc/mma/MM0700(デューク大学 リポジトリ_2025年10月28日閲覧)
[注3]今井しほか《師匠と怪物とキャラとか見た目とかの話。》_映像(40分)_2025年_協力:師匠/山本聡志_引用:メアリー・シュリー『フランケンシュタイン』(芹澤恵 訳、新潮社、2014年), 446頁
[注4]会話文については、筆者の記憶に基づいて再現・補足したものである。
[注5]今井しほか《鏡の怪物》_ステンレス、アルミ、詩_サイズ可変_2025年
[注6]イギリスには古くから、「妖精を視る方法」として合わせ鏡が伝わっているらしい(cf., 『パラノイア創造史』p.51)

 
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