『太陽はかかへ切れぬ程の温いパンで、私らはそれ等の家と共に地平線へ乗って世界一周をこころみる。―― 企画展 vol.15「利部志穂 “コスモポリテース / 世界市民 海を仰ぎ、水路を歩く。”」(2025年11月28日〜12月21日)に寄せて』
「ふいに、女の子が『つり橋』を作って、ぼくの方に差しだした。両の手首と中指に糸を掛ける、二人あやとりの最初の形だ。つりこまれて手を出し、『田んぼ』の形にからめとった。間髪を入れず、彼女が『川』の形に取りかえす。」[1]
“Bridge?” Boat Boat?”[2]と親しく鳴き交わしながらついばみ合う鳥のような手と手が、
「つまり、楽園では、自分の身辺の大部分のものが頻繁に変身しているのを、(……)花が宝石になったり、きらめくハチドリになって飛び去ったりするのを見た。」[3]
「つり橋」から「田んぼ」へ、「田んぼ」から「川」へと紐をなめらかに変身させていくように、あやとりをする二人の手元と、断片的な風景とを行き来する映像の中で、紅い指先は赤頭の鳥[4]と、電線は「川」と結びついて、
「一本の椰子の木が詩人の手紙を海に運ばせていた。」[5]
モニター右手、callbox の床から壁面へ「箒」みたいに張られた金糸もまた椰子の木のようだ。
「レッベリブと呼ばれるこの海図は椰子の葉の主脈部分を細く削って棒状にし,それを紐で縛って組み合わせてつくられる。(……)マーシャル群島人は海流そのものを読むのではなく,むしろ貿易風と潮流の規則的関係が周囲の小さな島の存在によって乱されるときの,その微細なうねりをカヌーの底に仰向けに横たわって察知し,(……)それぞれが海図の中に徴として反映される。(……)群島地図は,その原初的なかたちとして,こうした経験的な身体地図のマテリアルな造形からはじまった。」[6]
「水平線の先の、地平の輪郭をなぞって、
目の前に、目を凝らして
見逃さないように
爆発の瞬間を逃さぬように
淡い変化を逃さぬように」[7]
糸、金具、プラスチック。様々なマテリアルが組み合わされた利部さんの作品もまた、爆発の瞬間を逃さぬように凝らした目や、舟底の微細なうねりを察知する背中によって作られた地図なのではないか。 そうした地図・海図を読む私たちにも “腕を櫂にして”[8]漕ぎ出し、「海で迫ってくる波の流れを読み、待ち、不規則な形状や速さのあるものに体を合わせる行為」[9]が求められて、
「わたしは近づいて、その場にしゃがんで、点字でも読むように床のへこみを指先でなぞった。出来事は物質を変化させる。平らな物を凸凹にし、真っ直ぐだったものを曲げ、冷たかったものを熱くし、白かったものを赤く染める。そう思うと脳の外部にも物体が存在するのだということが信じられるような気がして少しほっとした。」[10]
「自分の血管の中を流れる血の音が聞こえる。体内に出入りする酸素分子の一つ一つを数えられる。(……)かつてプリニウスの身体を構成していた炭素と酸素と窒素と水素はもう地球全体に散って、大気の中を漂ったり、深海を泳ぐ魚の一部になったり、北方のシラカバの幹に取り込まれたり、赤鉄鉱の中で鉄の分子と結んだりしている。それらすべてを乗せて世界は変わらないままに変わりゆき、(……)それを女神ペレが見ている。」[11]
利部さんの作品を見ること自体が、頭蓋という容器=vessel=船から一歩踏み出し、血管(vessel)の中を流れる血の音に導かれて発見した自らの指先で外の物体をなぞり、そこから目に見えない存在と想像力で交信することで、
「神話は現実の筋書きのうちに自分の場所を得る。」[12]
世界という神話を信じなおすための旅路なのかもしれない。
ふと左を見ると、「橋の袂で/神話の中の なりたての木のようにどきどきしている」[13]のごとくcallbox の通路端に立っているのは利部さんだ。青いマントを羽織り、抱きしめた布から一顆の柘榴を取り出した姿は、赤い花を手に祈る《海辺の母子像》[14]みたいで、
「橋の向こうとこちら側。
いってらっしゃい。
ただいま。
それぞれの川岸から河岸にいったきり、戻れない。西と東で行ったり、来たり。この県境で、遠く離れた国境沿いの光景と重なり、時代を超えて、目の裏に愛する人の顔が浮かぶ。
どうか、無事で帰って来てね。
かつて西と東に分かれていた。
あちらの世界から、迎えがやってくる。」[15]
“水路” の反対側から、あちらの世界から村野正徳さんが迎えにやってくる。一度目はすれ違い、二度目は踊り、三度目の邂逅で利部さんは柘榴四粒を彼の口に与えた[16]。いびつに割られた、口蓋のごとき果実から零れ落ちた真紅の粒は(乳)歯のようで、
「言語の肉体性、それを誰よりも微細に感じとるのがダイアレクト[方言]の群島に家を持つ詩人たちである。大陸的原理に冒された国家語の浸透がいまだ不完全な、ゆらめくダイアレクトの島では、言葉は肉体的な存在そのものであり、それが『舌』と呼ばれてきた身体語彙の由来を証明していた。」[17]
利部さんは “詩人” として、ほかでもない自らの歯と舌で震わせた空気に作品という形を与えているのだろう。二人の後ろでは、紅いプラスチックの “舌” が床面に薄赤い影を落としていた。〈了〉
註
タイトルは、左川ちか『青い球体』より。川崎賢子 編『左川ちか詩集』岩波文庫、p.30。
[1]中井紀夫『山手線のあやとり娘』より。伴名練 編『日本SFの臨界点 中井紀夫 ―山の上の交響楽―』ハヤカワ文庫、p.59。
[2]映像作品の字幕より。
[3]ヘルマン・ヘッセ『ピクトルの変身』より。高橋健二 訳『メルヒェン』新潮文庫、p.202。
[4]コウカンチョウ(紅冠鳥)だと思われる。
[5]マフムード・ダルウィーシュ『壁に描く』より。四方田犬彦 訳『パレスチナ詩集』ちくま文庫、p.142。
[6]今福龍太『群島-世界論[パルティータⅡ]』水声社、p.295。
[7]利部志穂 著、小池俊起 編、多摩美術大学彫刻学科研究室 出版『水平考 : ぼくは、空飛ぶ、夢を見る。ホシが、泪が、流れない。』より。
[8]三角みづ紀『創造のはじまり』より。『週末のアルペジオ』p.75。
[9]利部志穂 個展「サンライズサーファー」(2015年12月19日~2016年1月24日_KAYOKOYUKI_東京都豊島区駒込2-14-14)アーカイブページより。https://www.kayokoyuki.com/jp/151219.php(2025年12月4日閲覧)
[10]多和田葉子『ミス転換の不思議な赤』より。『穴あきエフの初恋祭り』新潮文庫、p.105。
[11]池澤夏樹『真昼のプリニウス』中公文庫、pp.253-255。
[12]『壁に描く』p.124。
[13]高橋順子『吊り橋』より。『現代詩文庫 163 高橋順子詩集』思潮社、p.27。
[14]パブロ・ピカソの油彩画。1902年作。
[15]利部志穂『彼は、川を渡り、仕事へ向かう。』より。『出現 㐧一集』Most Risky、p.69。
[16]利部さん曰く、ギリシア神話のペルセポネが題材とのこと。e.g., 串田孫一『ギリシア神話』ちくま文庫、pp.66-67。
[17]『群島-世界論[パルティータⅡ]』p.289。