『抒情とは裏切りだからあれは櫓だ櫻ではない咲かせない――企画展vol.12「小林椋 あれこれもう例のこととも臼ひくクエを」(2025年7月4~26日) に寄せて』

文=平岡希望

 トタトタトタという物音の一拍後に聞こえてきたのは「…ちゃん、開けられるの⁉力持ちだね~!」というやわらかな声だった。思わず左を見ると、ぽわぽわとした巻き毛の子が、階段上がってすぐの101号室、クレープ屋のノブを両手で持って引き開けている…ときっと本人は思っているのだろうが、その子の後ろで、ドアを支えてやっている女の人の横顔が私には見えていた。階段の下からはその子のお母さんとおぼしき人が、ベビーカーをたたみながら笑顔でふたりを見あげていて、ダンダンダンと階段を上がった背の高い男性は振り返ると、背中越しなのによく通る声で「2階はこちらになりまぁす!」とおどけて、追いついた連れの女性に腕を軽く叩かれながら、また階段を上がっていく。

 右斜め後ろの102号室、卵焼き専門店らしいそこから出てきた人が、「いや、すごいね~むしむししてる」と言いながらのれんをしまうその後ろには、家族なのかスタッフなのか、はたまた常連なのか、一緒に店内から出てきたふたりも立っていて、彼らはおしゃべりしながら通路の奥へ歩き去っていくが、足音はしばしばこちらに向かってきて、一歩近づいたcallboxのウインドウには帆前掛けを着けた若い男性が、ロリータファッション風の女性が、スーツ姿の人物が薄く映って、時にこちらを怪訝そうに見つめるそのまなざしの奥には、いつも作品がある。

 callboxで展示を見るとはこういうことで、もちろん、これらは十数回訪れた中で出会ったシーンをつなぎ合わせたものだから、実際にはここまで“うるさく”はない。しかし、ビル1階の共用廊下に佇んで鑑賞するということは、こうした喧騒とともに展示を見る、というよりも、ある光景の構成要素として、自分もまた否応なしに取り込まれながら作品を経験するということで、横切っていく通行人たちを誘導するかのように、小林椋さんの作品が、振り子のようなその“腕”をゆっくり振っていた。

 腕に見えるのは、全体的なシルエットが足のない人体めいているからで、電源コードがひょろりと伸びた“腰”、漏斗のようにすぼまったその曲線は、callboxのウインドウに付けられたアールと、通路に木立のごとく並んだ赤レンガの柱のアールとも呼応している。“上半身”は点対称な作りで、腰と同じく細長い“首”の先には、「とんぼのめがね」みたいに大きく青いふたつの“目”があり、それらはゆっくりと反時計回りを続ける。ゆるく波打つその輪郭を手がかりにすれば、37、8秒で1周しているようだ。

 右手で左ひじを掴んだ人のように“y”字になった腕先の波型ハサミじみたギザギザの青は、おおむね1周期6秒で振幅しており、それは“右胸”に付いた小さな金具の、1回転約3秒の動きが、連結された長い金具=右腕によって左腕へ伝達されるために生じる。幼い頃に飽かず眺めた「ニュートンのゆりかご」のような左腕の往復運動は、しかし唐突に止まって、しばしの後また動き出す。1回の稼働時間は大体30~90秒、休憩時間は15~30秒ほどで、見たところ法則や周期性はないようだ。静止時のポーズも、ブロック体のごとき綺麗なy字を描くこともあれば、やや筆記体めいたり、向かって右へ大きく流れたりすることもあって、そうしたゆらぎは、

「美は、リヨン駅でたえず身をはずませている汽車のようなものだ。それはけっして発車しようとはせず、これまでにも発車したことがなかったと私にわかる。美は、ぎくしゃくした動きの連続から成るものだ。その動きの多くはほとんど重要ではないが、それらがいつかひとつの〈ぎくしゃくした動き〉をひきおこし、それこそが重要なものになるということを私たちは知っている。(中略)美は痙攣的なものだろう、それ以外にはないだろう。」(アンドレ・ブルトン 作,巖谷國士 訳『ナジャ』岩波文庫,pp.189-191)

「美は」「美は」「美は」という反復によってそれこそ“ぎくしゃくと”結ばれた『ナジャ』に対して、

「〈ぎくしゃくした動き〉の原語はSaccadeである。リヨン駅で身をはずませている蒸気機関車のイメージと連動し、それが発車しないままでぎくしゃくと動きつづけた末に到達するような、不規則で発作的で瞬間的な、ただひとつの〈ぎくしゃくした動き〉なるものの観念を伝えている。心理的・体感的であるだけでなく多分に性的でもあるこのイタリック体と頭文字の大文字で強調された特殊な言葉が、本書の結語をあらかじめ用意する。」(同,p.309)

巖谷氏が訳注において指摘したような生命的なイメージとつながって、callbox隣の106号室、ネイルサロンだというその引き戸が開き、華やかな声とともにお客さんが入っていく。外からはアップテンポな音楽が聞こえてきて、斜向かいのビルにはどうやらダンス教室があるらしい。

 目の前の107号室に戻れば、約1.4㎡の空間は今でこそ「最小現代アートギャラリー callbox」となって、会期というサイクルのもとで動き続けているが、元は占いの館だったらしく、そこではきっと星の巡りが読み解かれていたのだろう。そして、共用廊下であるここは絶えず人が循環するまっすぐな川のごとき場所で、だとすれば小林さんの作品こそ、その水流を読み、優雅に“櫓”をゆらめかす渡し守なのかもしれない。汗ばんだ体が、“川風”のかすかな冷たさを捕らえた。〈了〉

注)タイトルは千種創一『砂丘律』(ちくま文庫,p.51)による。

 
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